
日産セントラその1
はじめに
1992年7月、私はオクラホマ州の大学院に、経営管理学(修士課程,いわゆるMBA)の
勉強のため留学しました。
米国に行くのは初めてでありました。卒業までの2年間は、大変思い出深い経験と
なりました。
私は、自動車が好きですので、オクラホマで乗っていた、日産セントラについて、
記憶が確かではないところもありますが、若干の文章にまとめてみました。
米国、とりわけ東海岸や西海岸の大都市以外の場所で生活するためには自動車が
必需品ということはなんとなく理解していました。しかし、外国での生活は初めて
なので、クルマの調達方法もまったくわかりませんでした。
本業の勉強についても大いに不安でありましたが、それ以外では、やはり住む場所
を決めること、車を手に入れること、免許を取ることなど、生活一般を順調に始め
られるかどうかが不安でありました。
クルマ生活の第一歩
オクラホマに到着して、空港の近くのホテルに一泊した翌朝、ホテルのシャトル・
サービスで再度空港まで行き、空港内のレンタカー会社でクルマを借りました。
クルマは青い「マツダ323」といいまして、FF3代めのファミリア3drHBで
あります。当時の米国ではエアバッグもしくは自動ベルト(肩ベルト)が義務付けら
れているようでして(現在はエアバッグが義務)このマツダ323には自動ベルトが
装備されておりました。
座席に座ってドアを閉めて、エンジンをかけると自動的にAピラーからBピラーに
かけて埋め込まれたレールに沿って肩ベルトが自動的にセットされるというもので
す。ドアを開けた状態だとと肩ベルトのピラー側ブラケットはAピラーの付け根付
近(ダッシュボード付近)まで下りております。感動いたしました。
左ハンドル、右側通行は初めての経験でしたが、十分に注意して米国2泊めの宿で
ある、モーテル6に向かいました。
金銭的にあまり贅沢をする余裕はなく、なにごともチープシックで。
モーテル6は安くて快適でありました。
その後の米国内をいろいろ旅行するうちに分かったことですが、米国はどんな安い
モーテルでも十分なお湯、清潔なタオル、石鹸など、必ずそろっています。
米国の一般市民が世界一の繁栄を謳歌するようになった1940年代後半から1950年代
にかけて自動車で旅行する人々のための施設が整備されていったのではないかと思い
ます。(ルート66の時代と呼んでもいいと思いますが)
まずは、住む場所を決めて、車を購入するまでの間の移動手段として青いマツダ323を乗り
まわすことになりました。
(写真:アパ-トの駐車場でレンタカ-のマツダ323(ファミリア3drHB),
オクラホマ州ではナンバ-プレ-トは後だけ)
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